陽子と千早の神隠し!?

逃げる。逃げる。ひたすら逃げる。一心不乱に逃げる。とにかく逃げる。全力で逃げる。ただただ逃げる。

「……ああ、妖怪の大群に追われて逃げれるやなんて、夢みたいや……」
「……な、何考えてるんや、千早!?」
 夢は夢でも、私にはこんなの悪夢以外の何物でもあらへん。ああもう、どうしてこないな目に遭わなならんの や!!そもそも、あれは……

 一つ

「ふうん、これが封じの塚、っちゅうやつか」
「……あんまり、触ったりしない方がええよ、千早」
「そんなん、判ってるて。さ、写真撮るで。少し後ろ下がってな、陽子」
 そう言って、千早はデジカメで塚とその周囲を写真に収めてく。塚の全体、細部、周囲の状態とか、結構、手 慣れた風に効率良く撮影していく千早に、ちょっと感心しながら私はその様子を見守っていた。
 ところで、そもそものはじまりは、っていうと、私達の学校でも文化祭のシーズンが近づいてきて、クラスでも 何をやろうか、っていう話が盛り上がってきてたんや。で、そういう話になると、俄然目ぇ輝かすんは、…言うま でもあらへんやろ、当然、千早や。
 それで、千早の言い出しそうなことゆうたら、これまた大体予想がつきそうなことで、オカルトっぽいことには 決まっとるんやけど、今回は、ちょっと予想外やったことがあった。私は、どうせお化け屋敷とか、心霊写真展 示会みたいなことでもやるんやないか、なんて思ってたんやけど、何と、千早ってば、この辺りの妖怪伝承ゆ かりの地を総取材して大特集しよ、なんて言い出しよったんや。
 流石に、クラスのみんなも、それ聞いたときは目ぇ丸くしとったけど、なんか、千早の口車に乗せられたん か、話が終わったときには、みんな妙に盛り上がって、すっかりやる気になっててん。

 それで、千早に連れられてやって来たんが、ここ。うちの神社のある山から西へ三つくらい先の山にある、 『妖怪封じ』って昔から伝えられてる小さな塚やった。
 その山の登山道からちょっとだけ外れたとこに、獣道とほとんど見分けがつかへんような小道が伸びてて、 大体三十メートルくらい入ったとこに、ぼろぼろに腐りかけたみたいな立て札が立ってる。もう殆ど書いてある 字も読めへんけど、『山童』とか『封じ』とか、それっぽい文字が何とか読みとれた。
 で、そっからすぐ先に目を遣ると、こんもりとした人造って一目で判る盛り土がまん丸に盛ってあって、その 上に、小さいけど、確かに人の手で文字を彫り込んだ石碑が立ててあった。
 こっちの方は、立て札よりは字は残ってたけど、私には達筆過ぎて読めへんかった。けど、立て札にもあっ た『山童』とか『封じ』、それに、○○法師、っていう、これ立てた人の名前が彫ってあるのは何とか判った。読 めへんのは変わらんけど。
 なんでも、三百年くらい昔にこの辺で暴れとった妖怪を、通りがかった偉いお坊さんか誰かやったかが退治 して封じ込めた……って、千早が地元の図書館に保存してあった古い記録で調べたんやて。

 ……それで、千早は、っていうと、撮影の方は一段落したんか、方位磁石とか持って、ノートに何か書き込ん でたりしてる。結構、本格的なんやなー、って、ちょっとだけ千早のこと見直したり感心したりしたけど、私はな んだか手持ちぶさたになっちゃって、辺りの風景を眺めてたりしてる。
 優しく頬を撫でてくる初秋の風、まだ緑の方が多いものの、真夏みたく濃厚じゃなく、だんだん赤や黄色が混 じってきて、緑が柔らかになってきてる。夏から秋へ。移り変わってゆく季節の中にいるっていう肌触りが私の 心を穏やかにしてくれる。
 無理矢理千早に引っ張って来られたんやけど、ちょっとだけ、来て良かったな、って思い始めてた矢先のこ とやった。

「陽〜子っ♪」
 !!
「ひゃああああああっ!!」
 お馴染み……といえばお馴染みの。けど、こればっかりは絶対に馴れそうにない感触。後ろっから近づいて きた千早が、いつものように、私の、その、……む、胸を、がばっ、と鷲掴みにしてきよった。
「ん〜、つれないやんな、ウチにばっかし調査させとって〜」
「ちょ、ちょっと、千早……ぁんっ」
「ほーれほれ、どや、感じるか〜♪」
 千早の手が胸を大きくこね回してくる。……や、やばい、なんか、躰の奥がじんじんしてきちゃいそうや…… ち、千早がいつもこないなことするから……じゃなくて。とにかく、千早の手を振り解こうと身をよじらせて、
「ちょ、ちょっと千早、こんなトコで……」
「ん〜、こんなトコって、別に誰も見てないやん。それとも、誰かに見られたいんかな、陽子ちゃんは〜〜〜♪」
「な……ち、千早の、アホ〜〜〜!!」
 あぅう、千早ってば、これ始めると、いっつも調子に乗るんだからぁ〜!!
 私たちは、揉み合……じゃなくて、千早に一方的に揉まれているうちに、いつの間にか、塚の石碑のすぐ側 まで来ちゃってた。
「ち、千早、いいかげんに……」
 身をよじり、千早の顔を見た私は、思わずぞわっ、と背筋に走るものを感じた。な、なんか、目がイっちゃっ てるぅ〜!!
 もう、ほとんど反射的に、千早の手を振り解いて、セクハラの魔手がら逃げ出した……と思った途端。

 バランスを崩して、そのまま、転んじゃった。
 塚の上に。石碑と正面衝突する勢いで。
 当然、あんまり大きくない石碑は、思いっきりぶつかった衝撃に耐えられるはずもなく……
 石の置かれたところの盛り土を大きくえぐり取るように、崩れた。

「あ」

 時間が止まる。

「あーあ、陽子、やってもうたな〜」
 私のせいかー!?
「な……ち、千早が変なことするからやんかー!!」
「ちっちっちっ、陽子〜、人のせいにするんは良くないで?」
「ち、は、や、の、せ、い、や!!」
 とか言ってると、突然辺りが暗くなってきた。
「んー、何やなんや?さっきまであないに晴れとったのに」
「ほんまや、見てみ、空が真っ黒や」
 そう、気がつくと、空一面が黒雲に厚く覆われてる。と、どこからか、ごろごろごろ……なんて聞こえてきた。
「雷……?」
「……いや、違うみたいや。地鳴りやろか、山の上の方から聞こえるで」
 ほんまや。雷みたく、途切れ途切れやなくて、こう、ごろろろろ……って、切れ目なく響いてきてる。それも… …ち、近づいて来てる!?
 ふと気づくと、なんか辺りに妖気が立ちこめて来てる。鬼の力目覚めさせんでも、私はこういう感覚は、結 構、鋭いみたいなんや。結構、夢枕になんかが立ったりとか……せやけど、ここまで強い妖気やったら、普通 の人でも、かなり感じるはずや。その証拠に、千早が、
「……なんや、急に寒気がしてきよったで、陽子」
 って言うてる。
 で、とか言うてる間にも、ごろごろはだんだん大きく、近づいて来て…おそるおそる、音の方を二人して見る。

 〜〜〜一瞬、頭の中が、真っ白に、なった。

 何か……本当に、「なにか」としか言いようがないなにかが、ごろごろと山の斜面の上の方から転がって来 た。多分、まるいもの。たぶん、直径二〜三メートルくらいはあるような、長い毛に覆われたなにかが。

「つ、土ころび〜〜〜〜〜!!!」
 千早が叫んだ。……何故か嬉しそうに聞こえるのは気のせい……やと信じたいけど。
「って、逃げるんや、千早ー!!」
 私は、慌てて、千早の手を引いて、この場所から駈けだした。そりゃもう、必死で。
「ああ、本物の土ころびが見れるやなんて、夢みたいや……」

 ……泣きたい。

 二つ

 いくら、鬼の血を引いている私とはいえ、覚醒できへん昼間は無力や。普通の女の子と変わらへん。妖怪が 現れたかて、逃げることしか出来へん。しかも、こんなとき頼りになるはずの飯綱は、連れて来いひんかった。
 ……まあ、出かけるとき居なかったからなんやけど。けど、もし、それが学校のバレー部とかの女子更衣室 におったから、とか言うたなら、只じゃおかへんのやから……
 とか、必死で逃げてる割に、頭の中は、意外に余計なこと考えてる余裕あるもんやなー、なんて、そないなこ と考えてる自分のことも、他人事みたく眺めてる自分がいる。…あ、あかん、現実から脳味噌が逃げ出しそう になってるみたいや。
 
 ごろろん、ごろろん、と、すごい勢いで私たちを追いかけてくる土ころび。気がつくと、今どこを逃げてるん か、まるでわからんよになってしまった。
「ね……千早、ここ、どこなんか、わからへん?」
「んー、一応、道なりに逃げてきたはずなんやけどなー。標識らしいもんもあらへんし……地図見ても、それら しい目印見あたらんな」
 流石に、千早も困惑してるみたいや。けど、ほんまに、ここは何処なんやろうか。最初に逃げたときかて、最 初にやってきた道の方に逃げたはずやのに。
これでも、私は方向感覚は確かな方やったと思う…てたのにな……
 せやけど、必死で逃げた甲斐あってか、土ころびからは何とか逃げられた……と思う。あとは、元の帰り道 を見つけるだけ……なんやけど、おかしい。何か変や。この山に、こないな道はあったやろか?
 私たちが普段着のままで気楽に来れたことからもわかるよに、この山はほとんどハイキングコースになっと って、道も標識も完備されとる。それに、あの塚にたどり着く少し前くらいから、全く人と出会わんかったことを 思い出した。もちろん、土ころびと出会って逃げ出してからも、私たち以外の人には全く出会ってない。まる で、違う世界にでも来てしまったみたいに……
 って、そないなことを千早と話しながらとにかくも道を進んでた私たちやったけど、次第に、道の幅が狭くなっ て、足元も荒れてきた。胸の奥に不安が広がってくる。
「……けど、やっぱり、あの塚倒したんが原因なんやろな。妖怪出たんは」
「まあ、それしかあらへんよね。どう考えても」
「てぇことは……」
「うん、何とか、あの場所に戻って、塚、直さへんと山、出られへんのかも……」
「うーん、そっか。けど、なんや惜しいなー。折角、ほんまもんの妖怪に出会えたっちゅーんに」
「ち、千早!!」
 流石に声が高くなる。
「もぅ〜、わかっとるって、冗談やんか、陽子♪」
 ばんばん、って千早が肩を叩く。全くもう、千早ってば……
 けど、こんな千早の明るさが、私には気持ちの支えになってくれてるのは間違いあらへん。

 ……まあ、それ言うたら、ことの元凶も、千早なんやけどね。

 そないなこと話してる間にも、道はどんどん狭くなる。どんよりと曇った空模様に加えて、木々の枝なんかも 頭の上に垂れ込めて、更に昏さを増してくる。一応、道としての体裁は辛うじてあるものの、所々は草をかき 分けないと通れへんところまであった。そして、そんな所を草や枝を除けながら周りをきょろきょろしてた時。
「陽子、前!」
 いきなり、千早が声を上げた。
「え……?」
 くゎあああああん
「〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!」
 いきなり、何かがおでこにぶつかって甲高い音を立てる。もちろん、すっ……ごく痛い。何か、金物にでもぶ っつけられたみたいな……って……
「…………薬罐?」
 やかんやった。間違いなく、それは、何の変哲もない、薬罐やった。ただし、今の軽くて金属の薄いやつやな くて、昔の、鉄の分厚い、ごっついやつ……それが、上から私のおでこの高さのあたりまで、吊り下がってた。 あぅ、涙出る……
「…………」
「ふむ、これは、薬罐吊ちゅうやっちゃね。頭の上から、いきなり薬罐が下がってきて驚かす、っちゅう奴や。 いわゆる、『下がり』系の妖怪の一種やね」
「……ううう〜、そんな、冷静に解説せんといてよお〜」
 まだ、おでこがじんじんするよお。
「な、な、ぶつかり具合はどないやった?くぅ〜っ、羨ましいで、薬罐吊に頭ぶつけるやなんて、なかなか出来 る経験やあらへんで〜」
 ……なんか、嬉しそうやな千早。
 ぷち。
 あ、私の中でなんか切れた。割と決定的なのが。
「……なら、千早にもぶっつけてあげようか〜」
 って、怒りを込めまくって下がってた薬罐に手を伸ばし、ぐい、と手に取…え?
 ぐに、っとした感触。
 嫌な予感を押し殺しながら、掴んだままの手元に目をやると……
「〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!」
 声にならない叫びが、私の喉からほとばしり出る。
だって……

 馬の首。
 ……みたいなのがそこにあった。それも、馬の首なのは全体の形だけで、頭のてっぺんには手みたいなん が付いてて、額には三つ目の目、全体はぬめぬめのぐちょぐちょで、切り口にあたるとこはすぼまった形し て、捻れた触手みたいに伸びて……嫌ぁああああ……
 全身を震わす嫌悪感に、思いっきりそれを向こうに投げ捨てる、そして、道の先に視線を向ける。
「嫌嫌嫌嫌嫌ぁ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ!!!」

 私は、千早の手を取るや、今来た方へまわれ右して思い切り駈けだしていた。だって……
「ああっ、『下がり』モノがいっぱいや、袋下げ、油すまし、馬の足……凄い、凄いで陽子、妖怪図鑑で見たや つがずらり勢揃いや〜!」
「馬鹿バカ莫迦ばか、千早の、ばかぁ〜〜〜〜〜!!」

 もぉ嫌。

 三つ

  ざっざっざっざっ……

 転がるように駈けてきて、息を切らして歩きに切り替える。はあはあと荒い呼吸にざっ、ざっ、と草を踏む音 が混ざる。もう、夕暮れも過ぎようとしている。辛うじて日は沈みきってはいないけど……
 もう、夜になる前に山を下りるのは絶望的や。日が落ちたら、どないしよう……鬼の力覚醒させれれば、夜 目も利くし、妖怪どもが出ても怖くあらへんのやけど、それが出来るんは、夜の十一時位にならへんと駄目な んや。どうしてそうなんかは、私もよう知ってるわけやない。月の位置とか、そういうのが関係してるみたいなこ とは、お母さんや飯綱が言うてた気はするけど。

 ……それに、千早の前で鬼になるんは、絶対に避けなあかん。それだけは、絶対……

 ざっ ざっ ざっ……
  ざっ ざっ ざっ……
 ざっ ざっ ざっ……

 なんか、足音がおかしい。
 私と、千早、二人の足音に少しだけずれて、もう一人の足音が、後ろの方から近づいてくる。
 ぞくり、と背筋が震える。二人、顔を見合わせ、おそるおそる背後を振り返る。
 再びの悪寒。
 そこには、誰もおらんかった。そして、私たちは立ち止まっているのに、足音だけが

 ざっ ざっ ざっ……

ってこっちに近づいてくる。
 と、暫く何か考えてた千早が、
「べとべとさん、先おこし」
 って言った。

 ざっ ざっ ざっ……

 私たちの間を、足音が通り過ぎてく……
 何もない、誰もいない、気配さえもない。ただ、足音だけが、確かに聞こえる足音だけが、私たちの後ろか ら、二人の間を通り過ぎて、先を急ぐように、歩き去って行った。

「……今のは?」
「べとべとさん、っちゅう奴やな。足音だけの妖怪で、今みたく、先おこし、って言ってやらんと、どこまでも付い てくる、っちゅう奴や。ま、実害はあらへんと思うけどな」
「……よく平気やね、千早……」
「何言うてんのや、ウチかて、もう震えっぱなしやん。ほれ」
 そう言うた千早の肩は、確かに震えてた。
「ああ、こないな妖怪大行進状態に巡りあえるやなんて……やっぱ、来て良かったで……」

 ……喜びに、うち震えとった。

 四つ

 ……あれから何時間が過ぎたんやろ。
 私たちは、千早が「完全に日が落ちるまでは」ってとっといた懐中電灯の灯りだけを頼りに、夜道を歩いて た。それでも、昼間はあれだけ曇っていた空が、次第に晴れてきたのか、時々月明かりが見えるようになって は来た。あの後も、何度か妖怪に出会っては、逃げたり避けたりしながらここまで歩いてきたんやけど……
「なあ陽子、今度妖怪に出会うたら、突っ切って先に進んでみいひんか?」
「え……どういうこと?」
「あの妖怪ども、一体ウチらをどうしたいんかな、って考えてたんや。ウチらは早く山を下りたい。で、そのため には、あの塚へ戻って石碑を建て直さんとあかん。で、妖怪どもは、それをさせたくあらへんのやろ。何しろ、 何百年も封じ込められて、ようやく出られたんやからな」
「そっか……せやったら」
「せや。奴らはウチらをあそこへ近寄らせとうない。せやから、ウチらの前に出て脅かして、反対の方へ行か せようとしてるんやないか」
「じゃあ、今度出たなら、怖がらんで先の方へ突っ切って行けば……」
「そや。あの塚の場所まで行けるかも知れへん」
 千早の言葉に、萎えかけてた気力が盛り返してくるんがわかる。そうなると現金なもんやね、あんなに怖が ってた妖怪も、早く出えへんか、って気持ちにさえなって来…………

 出た。

 そりゃもう、いきなり、出よった。繁みの中から、身の丈三メートルはあろうか、っていう大男が。人ひとり隠 れられるかどうか、ってくらいの繁みから。いくら何やかて、も少しくらい心の準備させて、って思いたくなるくら いにいきなり。
 そして、そいつは、私たちの方をぎょろり、と睨んできた。額の真ん中にある、たった一つの大きな目玉で。
「山童……」
 流石の千早も、目を丸くして、そう、そいつの名をぼそり、と呟いただけやった。
 数秒とも、数分とも、数十分とも知れない時間が私たちと山童との間に流れた。最初に我に返ったのは、千 早やった。
「突っ切るで、陽子!!」
 一声叫ぶや、私の手を取って、山童の巨体の脇をすり抜けるようにして、駈けだした。
 山童は、咄嗟には反応でけへんかったみたいで、私たちが二十メートルくらい走って、後ろを振り向いたとき にも、まだ、こっちの方を振り向いただけやった。そして、ゆっくりした〜私にはそう見えた〜動作で私たちを 追いかけて来た。

 山童から逃げて全力で走る私たちの目の前に、黒い影みたいなのがうずくまってるのが見えた。視線をそ いつから少し上にやった、と見るや、ぐん、とその影が天を突くほど高く伸び上がる。
「見越したっ!!」
 そう千早が叫んだ途端、そいつは跡形もなく、目の前から消え去る。

 草をかき分けて走る目の前を、いきなり灰色の何かが覆う。ぴん、と来た私は、拾った木の枝で地面を払っ た。と、その何かは霧散する。

 やたら走り回った今日一日やったけど、それにしたってこんなには走らなかった、ってくらいに必死で走って るのに、山童はのっし、のっしと私たちを追って来る。見たところ、そんなに動作は速くあらへんのに、必死で 走る私たちが引き離すことがでけへん。やっぱり、コンパスがケタ違いなんやろな。
 こんな風にして、目の前に現れる妖怪どもをすり抜け、切り抜け、通り抜けて、何十体かわして走り抜けたん やろか。気が付くと、遂に、この騒動の元凶である、あの妖怪封じの塚が視線の先に見えて来た。
「やったで、陽子!はよあの石碑を立て直すんや!!」
 千早が叫び、限界近い両足と心臓を奮い立たせ、ダッシュをかけた。
 せやけど、後ろを振り向いた私は、思わず、心臓が口から飛び出そうな気持ちになった。
 土ころびだ。
 最初に私たちの前に現れ、この塚の前から追い立てたあいつが、また姿を現し、ぐんぐん背後に迫って来た んや。いや、それだけやあらへん。奴の躰が丸まった形を解き、毛むくじゃらの蛇みたいな姿になり、おっきな 口を開いて、私たちを呑み込もうと迫って来る。
「野槌……」

 今度こそ、本当に大ピンチやった。

 五つ

 土ころび……いや、槌ころび……野槌が私たちふたりを丸呑みしようと迫ってくる。
 千早は……石碑のとこにたどり着いて、今、持ち上げようとして、うんうん言うてる。やっぱり、女の子ひとり の力じゃ大変みたいや。けど、私はここで奴を何とか防がないと、間に合わへん。そう思った、その時やった。

 どくん、と私のなかで、何かが脈打つ。

 来た!!

 私の中の、鬼の血が、ようやく目覚めのときを報せてきた。千早は……必死で、石碑を塚の上まで引っ張っ てる。こっちは……見てへん。後ろ向きや。よし。
 奴の方を振り返ると、今まさに、私めがけて突進してくるとこやった。

 そして、私は、今までのあれやらこれやらむしゃくしゃやら溜め込んだもん全部ぶちまけるよな勢いで、鬼の 力を全開





































 爆風が、周囲を震わせた。それは、千早が妖怪封じの石碑を立て直したその刹那のことだっ た。
 それは、辺りの木々を何本かは傾けてしまうほどの爆風であったにも拘わらず、石碑と、それを 立てた千早には、全く被害を及ぼすことは無く……

「せ、せや、陽子!?」

 後ろを振り向いた千早は、爆風の中心地だったはずの場所に、すっく、と立った陽子の後ろ姿を 見た。
 それは、何故か、ひどく神々しく千早の目には映った。

 そして、こちらを振り向いた陽子の瞳が、一瞬、冷たい紅玉のような光を湛えていたような気が したのは、果たして彼女の気のせいであったのだろうか。

 ……少なくとも、千早は、気のせいだと思うことにした。
 何故なら、振り返った陽子は、いつもの優しい瞳に涙を湛え、顔をくしゃくしゃにして、彼女のと ころへ駆け寄ってきたのだから。



「千早ーっ!!」
 そして、私は、石碑を立て直した千早の所へ駆け寄ってゆく。あれだけいた妖怪たちは、跡形もなく居なくな っていた。果たして、千早が石碑を立てたのが早かったのか、私の爪が野槌を引き裂いたのが先やったの か、私にもわからへんかった。
 ともかく、一つだけ確かなんは、やっと、この騒動が終わった、ってことだけやった。

「……朝日!?」
 東の方角から、見間違えようもなく昇ってくる太陽。
「居たぞー」
「あそこだーっ」
 登山道の方から幾人もの人の声がする。
「陽子ーっ!!」
「千早ーっ!!」
 え? え?
「お母さん……?」
「……あれ、お母はん?」
 私だけでなく、千早もぽかん、としてる。
「陽子、全く心配したで!!」
「お母さん……」
「ほんまに、二日間も一体どないしてたんや!!」
「……え?」
 ……ふつかかん!?
 え? え? え?
 ええええええええええええええええええええっ!?

 そ、そんな……確かに、一晩……いや、私が覚醒できるよになるまでやから、日付かて変わってない……は ずやのに?

 おしまい

 結局、私たちは、山で迷っていたんを無事に保護された、っちゅう形で収まった。もちろん、たんと怒られた けど……千早も家で怒られたみたいやけど、懲りてないのは間違いない。
……絶対。
 こないなことになったせいで、文化祭での出し物も、変更せなあかんことになった。
 で、その日の昼休みのこと。
「あーあ、残念やな。折角の企画やったのに」
 千早が残念そうに言った。
「仕方あらへんやろ。これのせいで私たちが行方不明になった、っちゅうことになったんやもん……けど、私た ち、確かに一晩しか居なかったはずだよね?」
「……せやな。けど、考えたんやけど、ウチらがあの塚壊した時点で、あの山自体が妖怪……か、違う空間に なっとった、としたらどないやろか、ってな」
「山自体が?」
「でなければ、道のこととか、標識とか、誰にも会わんかったこととか、説明でけへんやろ」
「……うん、時間もね」
「そういや、時間っていや、ウチら、あの山におったとき、時計、見たか?」
「覚え、無い……」
「要するにやな、ウチら、ひょっとして、神隠しに遭った、っちゅうことになるんやあらへんか?」
 千早の言葉に、私はあのときの事件が何やったんか、理解できたよな気がした。

 ……そして。
「そうや、山がダメなら今度は街や!!街の心霊スポット大特集!! さ、行くで、陽子ーーーーーーーー!!!」
「もう、勘弁してーーーーーーーーーーーーーー!!!」

 ……千早がおる限り、私には安息の日は来いへんのやろか?

終わっとけ

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